お店を閉めてからのこと 1
「お店を閉めたら何するんですか?」と、よく聞かれます。「散々聞かれて嫌気がさしてるかもしれませんが…」と前置きを付けてくれる人もいますが、嫌気なんて全然さしてません。聞いてくださって、ありがとうございます。
ちょっと長くなりますが、どうぞお付き合いください。
僕は自然を見つめることが好きです。たぶん、山に登るようになったことがきっかけです。風が吹いて樹々がザワザワっと揺れて色づいた葉っぱがヒラヒラと落ちてくる晩秋の景色や、虫が虫を食べているところ、食べられているところ、大きな動物の死から生まれる無数の営みがあること。そこには美しさや、厳しさ、悲しさ、面白み、笑い、疑問や謎、いろんな場面があって、見ていてまったく飽きることがありません。時間なんて気にせず、ずっと見ていたいのです。
自然を見つめていると、ひとつの大きなうねりというか、流れがあることに気がつくときがあります。いくつもの命がひとつの大きな流れになっている。そんな場面に出会うと、なぜだか自分はその流れに混ざれていないような気がしてくる。異物のような、部外者のような、傍観者のような、やるせない、悲しい気持ちになる。自分という存在の、不自然さを知る。
じゃあ、不自然な自分を自然に近づけるためには、どうしたらいいだろうか。そんな疑問を抱きながら、山に登り、散歩に出かけ、本を読み、人と語らい、時間をかけて答えを紡いでいきました。
答えは至って単純でした。一つは、自分で食べるものをできるだけ自分で育てる、または調達する。土に触れ野菜を育て、山に入り恵みをいただく。狩猟について考えるときもあるけれど、まだその時が来ていないように思います。二つめは、電気ガス石油燃料の依存度を下げる。薪を燃料とした暮らしを築く。簡単なことじゃないことは分かっています。時間をかけるつもりです。こうした生活を築こうとすると、自ずと自然に近づくことになります。町よりも山に近いところの方が相性がいいように思います。僕は、町を出ようと思っています。今、家を探しています。おっと、停電だ。外を見ると近所の家々も真っ暗。ついでに雪も降ってる。この寒さで停電が続くと厄介だなあ。薪で暮らしたいとか書いてたらこの有り様。すごいタイミング。ガラケーを懐中電灯替わりにしようとしたら充電残り1%。3日に一回くらいしか充電しないのが仇になりました。まあ、問題ありません。書けるところまで書いて、さっさと布団に潜り込むことにします。
「そうは言っても、現金収入がなければ生きていけませんよね?」。これもよく聞かれます。確かにお金は必要です。でも、お金を得るために、どこかに就職したくない。できるだけ自営でどうにかしていきたいのです。
僕は、文章を書くこと、写真を撮ることが好きです。文章を読んでくれた人、写真を見てくれた人から、たまに褒められることがあります。単純に嬉しいです。僕が作るお酒や珈琲を飲んで、喜んでくれる人もいます。僕が普段からやっていることで、人に褒められたり喜んでもらえたりすることって、他に何かあっただろうか。考えてみたけど特に思いつきませんでした。なので、僕は文章を書き、写真を撮ることで、お金を得ることに決めました。好きな自然を見つめ、文章を書き、写真を撮ることに決めた。
「もうお店はやらないんですか?」とも聞かれます。お店は、またやりたいなと思うときもあれば、もういいかなあと思うときもあります。はっきり言い切れない。だから、何かいいご縁があったり、いい場所と巡り合うことができたなら、またお店をはじめるかもしれません。それまでは、たまにどこかのお店を間借りさせてもらって、お酒や珈琲を提供したいなと思っています。自分で言うのもなんですけど、僕が作るお酒や珈琲は、なかなか美味しいと思うんですよね。もったいないですよね、自分で言うのもなんですが。それと、今までのように収入源がお店一つだけという状況はもうやめにしないといけないと思っています。コロナで痛いめに合いましたし、他にも収入源があった方が、お店をより面白く豊かにできると思うようになりました。
じゃあ、その文章と写真をどういう形にしてお金を得ようと考えているのか。お店ではもうその話しをしています。
停電で部屋が寒くなってきたので、今夜はこのあたりで終わりにします。
近々また書きます。
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