お会計

ここ数ヶ月お店にいらしてない方には分からないことだらけだと思うんですが、お店のお会計がちょっと変わりました。どう変わったかというと、お客さんに値段を決めてもらうようにしました。例えば、珈琲を注文して一杯味わって、その時間を過ごして、500円だと思えば500円で構いませんし、一万円だと思えば一万円で構わない、という具合です。


なんでこんなお会計にしたのか、理由はちゃんとあるんですが、敢えて書きません。聞きたかったらお金払ってください。


このお会計にしてから、色んなことがありました。楽しんでくれる人もいれば、「分かんねえよ!」と怒る人もいました。その度に、僕も色んな気持ちになりました。気持ちが浮き沈みすることの連続でした。金額が大きければ嬉しいとか、少ないから悲しいとか、そういう単純なことではありません。


好きな数字で払っていく人、財布の小銭を全部出していく人、まだ注文をとっている最中なのに値段を決める人、とても大きな金額を払う人、団体でいらしてすでに支払いが終わっているのにもう少し払いますと言って一人多く払っていった人、正解がないのに正解を導き出そうと悩む人、本にお金を挟んでいく人、予め箱にお金を入れて持ってくる人、一万円を渡してきて好きな金額取ってくださいという人、本当にいろんな人がいました。お会計に個性が出るんです。まさに人の数だけ。これは本当に面白かった。


お店というのは、快適さ、便利さ、使い勝手の良さ、分かりやすさ、などを提供してくれるものだと思っている人が大多数だと思いますし、そういったお店が良しとされるのかもしれませんが、僕にとってそういったものはどうでもいい。


考えたり感じたり解釈したりすることでしか得られない果実がある。与えられることに慣れすぎていると、思考が停止して、味のしない人生を送ることになる。果実を自分で実らせる、自分で見つける、自分の力で採る。だから面白い。「はい、どうぞ」と渡されたものばかり食っていたら、なんで生きてるのか分からなくなる。ちょっとくらい面倒くさかったり不便だったり分かり難くい方が、むしろ面白い。このお会計は、そういう類いのものだと僕は思っています。


と、ここまで書いてなんですが、このお会計、今日で辞めます。この数ヶ月間、お付き合いいただきありがとうございました。面白がってくれた人も、嫌だなあと思いながらもお店に来続けてくれた愛ある人も、そして僕も、みんな何かしら味わうことができました。これはやれて本当に良かった。


果実を味わえなかったみなさん、味わうことを放棄したみなさん、残念でしたね。こんなことやってくれるお店、世界中探してもそうそうありませんよ。