寄付について

寄付はやめます。


理由はふたつ。 


 一つ。


寄付は、距離とお互いのあり方を無くしてしまうことに気がつきました。本来一番嬉しいのは、その場所に行くこと、この場所に来てもらうこと。それを一番大事にしなければいけないと改めて思いました。


東京の大切な友人が「寄付をしたい」と言ってくれたんですが、その友人はまだこの場所に来たことがなかったので、「一度この場所に来て、寄付するに値するかみてほしい」と言っている自分がいました。寄付したいって言ってるのに、すんなり受け入れない自分がいて、ああ、そういうことなのかと、自分は馬鹿だったなと反省しました。


僕は日頃から距離や時間や速度について強くものを言っていて、今回自分でそれを蔑ろにするところでした。先日書いた、僕が憧れている、人の善意によって必要最小限に保たれている奇跡的な場所も、考えてみれば、やはり距離を大事にしているように思います。「大事にしている」というよりも、「自然とそうなっている」が正しいと思いますが。


寄付は募りませんが、チップはありがたく頂戴することにしました。お互いのあり方を直接確認できるので。


理由二つめ。


寄付をいただくには、いい人にならなければいけないことに気がつきました。僕にはその覚悟が足りませんでした。僕はいつも世の中を見下しています。バカくそ死ねばかり言っています。バカくそ死ねが言えなくなる、その覚悟が僕にはありませんでした。昨日一日、いい人のふりをしました。自分に嘘をついているみたいで気分が悪かったです。 


「すべてに感謝すること」「自分は生かされていること」に気づき、そこから溢れる何かで世界と接することが、きっと大事なんでしょうね。分かっちゃいるけど、今はやりたくないです。


以上です。


つまり、僕には寄付を募る覚悟もなく、思慮も浅はかだったということです。反省しています。それにしても、クラウドファウンディングというのは、この辺りを形式化しカジュアル化したものなのかな。カジュアル化していいのかなあ、こういうの。ついでに手数料取るとか、とんでもねえやり方だと思うけど。


今回、「寄付を募ります」と言った瞬間から、僕は、「自分が今まで歩いたことがない、初めての道を歩こうとしている」、そんな気がしました。道は、僕にとって、最近の思索の対象です。初めての道に入ったことで何が起きるのか想像できず、とても不安でした。朝起きたらよく分からない涙が出ました。しかし、その不安をどこかで喜んでいる自分もいました。初めての道を歩こうとしている、そう思えたからかもしれません。まあ、たった二日間でギブアップでしたけど。


本質的な美しさや豊かさは一体どこにあるんでしょうか。「憎むことを止めないと見つけられないよ」。そんなこと分かってるんだけど、止められないんだよね。毎日もう無理だってくらい憎いんだ。